ハワース Haworth : 『嵐が丘』 の舞台へ行こう!
私がイギリスに旅立つ前、ヨーク大学への留学が正式に決まり、日本の先生の元へご挨拶にうかがったときのことです。
私が行き先を告げると、先生は私が勉強する予定の専門のことについては一切触れず、
「ヨークシャーか! ブロンテ姉妹の故郷じゃない!」
と、目を輝かせておっしゃいました。
「僕、好きなんだあ」
私はその日、初めて『嵐が丘』の文庫本を買いました。
『嵐が丘』 『ジェーン・エア』
読んだことがある、もしくは読んだことはないけれど、名前だけは聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
それぞれが小説を書いて話題となった、シャーロット、エミリー、アンのブロンテ三姉妹は、私が留学したヨークを抱える地域、ヨークシャーの出身です。
特にエミリー・ブロンテが書いた小説『嵐が丘』は、彼女の故郷であるヨークシャーの村、ハワース Haworthをモデルにしていると言われています。
先生曰く、ヨークシャーとは「荒涼とした大地に、強風に吹き付けられて斜めになった木がぽつんと立っているイメージ」だそうで、さらに小説の冒頭でも、「痩せたイバラが、まるで太陽の恵みを乞うて泣きついているみたいに、枝を一方だけに伸ばしている…」などとあるので、すっかり私のヨークシャーに対するイメージは、
Euan Morrison
https://www.flickr.com/photos/euanzkamera/7909241274/in/photostream/
↑こんな感じになってしまったのですが、初めてヨークに入る日、ロンドンからの長距離バスで寝こけて、ヨーク近郊になって飛び起きた私が見た光景は、
なんとものどかな、一面の菜の花畑でありました。
2014年4月半ばのこと。車中にまで流れ込んでくる春の匂いに、『嵐が丘』のイメージが一瞬にして崩れ去っていきました…
今回は、去年の8月に訪れたハワースの紹介を通して、のどかさと荒々しさを兼ね備えたヨークシャーの魅力をお伝えしたいと思います!
◆まずは『嵐が丘』のあらすじを少し…
寒風吹きすさぶヨークシャーの荒野に、「嵐が丘」と呼ばれる屋敷があった。
ある日、嵐が丘の主人はリバプールから一人の男の子を拾ってくる。ヒースクリフと名付けられたその孤児は、主人に可愛がられながら、主人の娘・キャサリンとともに成長した。二人でいたずらを繰り返し、荒野を駆けまわるうちに、ヒースクリフはキャサリンに恋心を抱くようになる。
しかし、主人の急逝によりキャサリンの兄が当主となると、貰い子で疎まれていたヒースクリフは使用人の地位に格下げされ、虐待を受けるようになる。さらに、キャサリンが近くに住む裕福なリントン一家と交流を始めたことにより、キャサリンとヒースクリフの距離は次第に遠ざかっていった。
リントン家の長男からプロポーズされたキャサリンは、魂ではヒースクリフとつながっていることを感じながらも、今後の生活を考えて彼のプロポーズを受けてしまう。
そのことを知った夜、ヒースクリフは嵐が丘を出奔した。
その三年後、莫大な富を得て嵐が丘に帰ってきたヒースクリフは、自分を虐待した嵐が丘の一家、そしてキャサリンを奪ったリントン一家を不幸に陥れるため、壮絶な復讐を開始する。
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元の題名は「Wuthering Heights」
「wuthering」 とは、ヨークシャーのある北部イングランドの方言で、風が唸りをあげて吹き荒れる様を表す形容詞。
その題名の通り、小説では常に強風が吹きすさぶ荒野を舞台に、激しい人間関係が繰り広げられます。
作者のエミリー・ブロンテは、ブロンテ三姉妹の2番目(ほんとは男兄弟もいる)。小さいころに家の周りのムーアと呼ばれる荒野を駆けまわった経験が、この小説に活かされています。
1847年の発表当時はあまり評判が良くなかったといいますが、20世紀になってから評判が高まったそう。今では英語文学の三大悲劇の一つと言われ、本の裏表紙には「世界中の女性を虜にした恋愛小説」とか書かれています。
しかし、その評価はというと、読む人によってかなり違っているようです。
ざっとネット上にある感想を読んでみても、「深い感動を覚えた! 最高!」という人から、「読むこと自体苦痛…」という人まで…。
私も読んでみてまず思ったのは、「これは…恋愛小説なのかな…?」ということで、どうも一筋縄ではいかない小説です。もうすぱっと「壮絶な復讐劇です」と言いきってもらった方がすっきりするのかも。この話はまた後ほどしたいと思います。
◆ハワース Haworth へ行こう!

さて、今回取り上げるハワースは、ヨークから見て西の方にあり、電車やバスを乗り継いで1時間半~2時間くらいで行くことができます。
ちなみにヨークとヨークシャーの関係ですが、ヨークが市の名前で、ヨークシャーはより大きな行政区(County)を指します。
ちょうど京都市と京都府みたいな関係ですね。
ヨークシャーは、イングランド内の行政区では一番面積が広く、その美しい自然から「God's Own County 神の持ちたる州」とか言われてるんですよ!
ハワースの駅からしばらく歩くと、旧市街の入口の坂にさしかかります。
旧市街は小さな丘を取り巻くように展開しています。ヨークシャーの田舎らしい、ねずみ色っぽい街並み。たくさんの観光客と一緒に坂を上り、ふと振り返ると、家々の向こうに緑の牧草地が!
このように、ハワースは牧草地と荒野に囲まれた、のんびりとした村です。こんな風景を眺めながら、ブロンテ姉妹は成長したんですね。
◆ブロンテ・ウォーク:ブロンテ姉妹が生きた時代
さて、私は小さい町を訪れたときには、現地のガイドツアーに参加するのが好きです。
英語なのでちょっと何を言っているのかわからないときもあるのですが、本には載っていない謎の情報(なんであの家のドアには穴が開いているのかとか、1820年代のこの街のトイレの数はいくつだとか)を手に入れることができるので、結構面白いです^^
ハワースでも観光案内所で紹介してもらい、ブロンテ・ウォークというツアーに参加することにしました。
名前からして、ブロンテ姉妹の文学作品の話が聞けるかなーと思っていたのですが、内容としては、ブロンテ一家の生活に絡めながらハワースの歴史を語る、歴史ウォーキング・ツアーでした。
少し顔の赤い、陽気な感じの親父さんでした。口癖は「Rubbish」
「ほれ見ろ、この墓石ツルツルだ!」
@ブロンテ家が牧師を務めた教会の墓場
ツルツルだってのはわかったんですけど、結局この墓石がどういう人のもので、何のために今説明しているのかよくわからんかった^^; 多分ここらへんで裕福だった人の墓だったんだたぶん。
気を取り直して、彼が教えてくれたハワースの歴史について紹介しましょう。
お話は、ブロンテ姉妹の父、パトリックが牧師としてハワースに赴任してくるところから始まります。
現在ではブロンテ姉妹の故郷として有名になり、ヨークシャーの古き良き田舎街、というのんびりしたポジションを獲得しているハワースですが、その「古き良き」時代は決して素晴らしいものではありませんでした。
ブロンテ一家が生きた時代、1820~60年代は産業革命真っ盛りのころ。小さいながらも地域の中心地であったハワースには、近隣から労働者が多く詰めかけました。
当時の主要産業は、毛織物用の糸を作ることと、それを用いた毛織物。近くに工場ができ、労働者は過酷な環境で働きました。現在のハワースの町並みはそのころからほとんど変わっていないのですが、今は一家族で住んでいるような家に何家族も居住し、一つの部屋に家族全員が住むというような過密状態が起こっていたといいます。
さらに排水システムがうまく機能しておらず、疫病が蔓延。村で生まれた子供の42%が6歳まで生きられず、平均寿命は44歳という短さでした。
パトリックはそのような状況を嘆き、公衆衛生システムを整えたり、子供たちのために学校を開いたりと、村の人々の生活改善に奔走したそうです。学校では、ブロンテ姉妹も先生として教えていました。
ハワースの自然の中で想像力を培い、素晴らしい小説を書きあげたブロンテ姉妹でしたが、結局三人とも平均寿命に届くことなく亡くなっています。牧師であったパトリックは、我が子全員を自分の手で埋葬するという悲しいことになってしまいました。
今では中央から遠く離れ、社会の流れから隔絶されているかのように静かな村ですが、かつては時代の最先端の問題にぶつかっていたんですね…
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さて次は、村のはずれの小さな門を抜けて、『地球の歩き方』が「ここを歩かなきゃハワースに来た意味がない!」とまで言っている(一部誇張あり)ムーアに出てみましょう!
◆ムーア Moor
門をくぐると視界が開けて、どこまでも続く牧草地が目に飛び込んできます。
うわー! これはあれだ、
どこからどう見ても、我らがYorkshire Tea※のパッケージだ!
※Yorkshire Tea…ヨークシャーで絶大な支持を集めている紅茶。ヨークのカフェとかで「Yorkshire Tea」って赤い看板を出している店をよく見かけます。日本の居酒屋の「キリンビールあります」みたいな感じ。最近英国王室御用達になった。
でも、こののどかな風景は、まだムーア(荒地)って感じじゃないですよね。
そう思いながらフットパスと呼ばれる歩道を歩いて行くと、ついに紫色の花に覆われたゴツゴツした土地、ムーアにたどり着きました。
地面を覆うこの紫色の花は、ヒース Heathと呼ばれている花。そう、嵐が丘の主人公、ヒースクリフの名前はこの植物から来ていて、Heath+Cliff で「ヒースの茂る崖」というような意味の造語です。
ヒースは、イギリス北部の荒地に生える典型的な植物で、草ではなく背の低いツツジ科の木です。花の盛りは8月の末。
イギリスではHeath またはHeatherと呼ばれていますが、日本ではエリカという名前が一般的かも。ドイツにもエリカ街道という、エリカの花咲く北ドイツの街をめぐる観光街道がありますね。
農耕に向かないやせた土地に生い茂るため、Heath という単語は、荒地と同じ意味で使われています。
ヒースのイギリスにおける花言葉は、「Solitude 孤独」
荒野で強靭に生き、愛に裏切られて復讐に燃えるヒースクリフには、まさにぴったりの花だったのだなあと思います。
ヒースはシェイクスピアの悲劇でもここぞというときに使われていて、
たとえば、マクベスが魔女から悲劇の始まりとなる予言を告げられる場面や、リア王が絶望の淵で放浪する場面は「A Heath: ヒースが生い茂る荒野」という舞台設定がされています。
ヒースを孤独、荒廃、苦悶と結び付ける心象というのは、イギリスの人々の中に自然とあるものなのかもしれませんね。
地平線の向こうまで紫の花が地を染め上げる光景は、まさに圧巻でした。
◆おわりに
最初の方で、「『嵐が丘』が恋愛小説なのか謎」というようなことを書きました。
その原因として、全体の会話文がおよそ恋愛小説らしくないということがあると思います。
会話構成比、「相手への罵倒 7: 小言 2 : 愛の言葉 1」くらい。さらに、出てくる人がほとんどみんなヒステリックな性格をしているため、読むのが辛くてやめちゃったという意見もわかります。
私も読んだ直後は、「これは復讐劇だ」と決めつけていました。
ただ、ヒースクリフをあれだけの復讐に駆り立てたのは、まぎれもなくキャサリンへの愛で、周りの人を次々と不幸にするためにとった手段は、言ってしまえば愛の裏切りで、終わりがないと思われた彼の復讐の炎が急激に力を失ったのも、やっぱりキャサリンへの愛ゆえだったと考えると、
もしかしてあれは恋愛小説だったのかなあ、
と、3か月くらい放置して、ぼんやり歯を磨いているときにそう思うようになりました。
読んでいる最中は、登場人物たちのヒステリーに振り回され、語り手ネリーのやることなすこと裏目に出る性質にイライラしてしまうので、いったん細かいセリフ回しがぼんやりしてしまうまで待った方がいいのかもしれませんね。
小説『嵐が丘』は全体的に暗くて、ヒースの花が咲いている夏の日の描写はほとんどないんですけど、私が行ったハワースは、いつまでもベンチに腰掛けていたくなるようなステキな村でした^^
ヨークシャーは、旅行の定番ルートに入ることはあまり多くないのですが、ぜひイギリスの美しい田舎を見に寄ってみてほしいです。
追記:この記事を書いたすぐ後、舞台でヒースクリフとキャサリンを演じた山本耕史さんと堀北真希さんの結婚が発表されてびっくりしました。舞台ではお二人がいい人そうすぎて、「こんな感じのいいキャサリンとヒースクリフがあるか!」という不思議な批判があった(笑)そうですが、お話の中の二人の分も幸せになってほしいですね。
エミリー・ブロンテ作、鴻巣友季子訳, 2003, 『嵐が丘』, 新潮文庫.
『地球の歩き方 イギリス 2013-2014版』, 2013, ダイヤモンド社.
ハワースでもらったパンフレット 「Haworth: Village of the Brontës」
ブロンテ・ウォークのおじさんの話
嵐が丘 -Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98
ヒース -Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%B9
Yorkshire -Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Yorkshire
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