タータンの歴史+補足

タータンのことを調べているうちに、何だかタータンの歴史にも詳しくなってしまったので、ざっくり書いておきます。

今では世界中で愛されているタータンですが、民族意識と関わったりしながら、波瀾万丈な感じで現代まで来ているみたいです。



タータンの歴史


元々は、スコットランドの中でも特にハイランド地方の住民が、肩掛けやキルト、ズボンなど、日常生活の中で使っていたと言われています。


Highlandの地図。イングランドの北にあるスコットランドの中でも、さらに北方の地域という感じですね。山岳地帯です。


はじめは2,3種類の色を使ってシンプルな格子柄を作っていました。染料はその土地で採れる植物の根やベリー、木などから採取しており、その土地オリジナルの‘district tartan’(土地タータン)ができていきました。


当時は人の移動が少なかったため、district tartanは次第に、「その土地に住んでいる○○という一族のシンボル」という風に考えられるようになりました。


そのような素朴な感じで、‘clan tartan’(氏族タータン)は誕生したのです。


そのうち化学染料が発展すると、もっとカラフルな、もっと手の込んだタータンが作れるようになりました。


それまでは少数のクランしか持っていなかったタータンですが、ウチもウチもといろいろなクランが新しい格子模様を発明し始めます。分家なんかも、本家のタータンに縞を足したり模様の幅を変えたりして、独自のタータンを作るようになりました。



一族の行事などのときに、揃いのclan tartanを制服のように着ることがあったみたいですね。


かといって、その規則はそこまで厳しいものではなかったのか、わりと好き勝手着ていたみたいな記述もあります(笑)


また、一族で戦いに出るときに、味方を見分ける意味で使ったとか、日本でいう旗印的な意味も持ちました。




写真はスコットランドのNational Portrait Galleryの展示。
Major Hugh Montgomerie, later 12th Earl of Eglinton (1739-1819) by John Singleton Copley (1780)




タータンの消滅


ハイランド人に愛されていたタータンですが、カロデンの戦い(いろいろあってほぼハイランド人とイギリス政府軍の戦いになった)で大打撃を受けてしまいます。


the Battle of Culloden in 1746
(左側がハイランド兵。タータンのキルトを着ています)

カロデンの戦いはハイランド側の惨敗に終わり、その後、ロンドン政府はハイランド人の反抗的な要素を取り除いてしまおうと考えました。その政策のうちの一つが、タータンの着用の禁止だったのです。これはかなり厳しく実施されたようで、ここでタータンの歴史に一つの断絶が起きてしまいました。


1785年、この法律は廃止されました。民族的衣装の復活にハイランド人はさぞ喜んだことだろう…と思ったのですが、40年間という長い禁止令の間に、ハイランド人はタータンへの興味をすっかり失っていたのでした…


禁止令以前のタータン職人はほとんどが亡くなっており、古い模様の詳細も失われていました。ハイランド人は他の地方のスコットランド人と同じ格好をするようになり、このときタータンの伝統はほとんど失われてしまったと言えます。


グレート・タータン・リバイバル☆


状況が変わったのはそれから30数年後の1822年。イギリス国王ジョージ4世がスコットランドのエディンバラにやってきたときに、クランの代表者たちに、「みんなそれぞれのタータン着てきてよ。私もキルト着るからさ☆」とお達しを出しました。


かつてタータンを持っていたけど忘れてしまったクラン、実はもともと持っていなかったクランは大慌てです。このときにたくさんの「オリジナルな」clan tartanが作られたと言われています。


まあ、そんなこんなでイギリスにかなりのところ振り回されながら、現代のタータンはスコットランドのシンボルとして存在しているわけです^^;


Black Watchの話、補足


前の記事で、現在のBlack WatchはCampbell一族のタータンが元になっていると書きました。


1746-1785年の間、民族衣装としてのタータンは原則禁止されていたのですが、イギリス政府側について他の氏族を監督していたCampbell一族とその周辺は、例外的にタータンの着用を認められていました。


そして40年後、他の氏族がタータンを忘れた中で生き残っていたのがBlack Watchだったのです。


その後、古いタータンの性質を残すBlack Watchを元に、新しいタータンが作られていきました。


Ancient Campbell tartan




キルトの話






タータンと切っても切れない関係にあるスコットランドの民族衣装、キルト。

どう見てもスカートなんですが、「kilt」で画像検索すると、スカートの持つ女性的イメージを吹っ飛ばすかのように男らしい画像が並びます。





ここまでかっこよく着こなされると、スカートが女性のものだという発想は現代人のつまらない思い込みなのではないかと思えてきますが、



キルトをはいているスコットランド兵士に興味津津な婦女子の図(1815)
Satirical caricature of European women curious about 
kilted Scottish soldiers, c. 1815

すごい見てる!!

200年前からこんな感じの視線にさらされていたんですね…(風刺画ではありますが)
まあ、200年前の女性はこんなミニスカートははかないので、余計不思議だったのかもしれませんね。


参考文献・Web page

Little book of Clans and Tartans, (2014), Glasgow: HarperCollons Publishers.

History of the kilt -Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_kilt

カロデンの戦い -Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

MacQueen tartan, Campbell ancient tartan, Highlandの地図はそれぞれのWikipediaより。
Kiltを着た男の人の写真はBelted Plaid -Wikipediaより。
Satirical caricature of European women curious about kilted Scottish soldiers, c. 1815はHistory of the kilt -Wikipediaより引用です。



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